うーじんがら

 

「でぃっか、いちゅんどー(さあ、行くぞ)」
ヨナが大きな声で叫ぶ。大学の友人、ヨナの実家は沖縄だ。沖縄では一般的だが、東京では珍しい与那覇という名字から、「ヨナ」と呼ばれていた。僕は旅行というものが嫌いだ。正確に言えば移動する時間が嫌いで、まともな旅行は、修学旅行以外いったことがなかった。でも、今、沖縄にいる。
週に一度は、バイト上がりにヨナの部屋でチャンプルーやラフテーをつまみに酒を飲んでいた。実家から送ってきたという泡盛を飲みながら沖縄の話を聞いていると、どうしても一度は訪れてみなければならない気がした。いつも自然と食い物、酒の話がほとんどだった。でも、その全てが瑞々しく、躍動して僕の頭の中に入り込んで消えなかった。
 糸満市の海沿い、そこにヨナの生まれた町があった。春先の長期休暇を利用して泊らせてもらうことにしたのだ。実際、那覇空港に到着した時は観光色が強く、げんなりとした。しかし、糸満の海沿いまで来ると話に聞いたとおりの風景が広がっていた。
ヨナは地元の仲間に紹介してくれると言った。もう就職している友人も多いから夜に酒でも飲もう、ということになった。それに、夜の沖縄の海も見せたいと言うのだ。仲間が集まるという居酒屋に連れて行かれると、木の看板に「居酒屋 にーぶい」と書いてあった。
「なあヨナ、この店の名前どういう意味?」
「いねむりって意味さぁ」
僕はこの独特の琉球方言というものにとても惹かれていた。沖縄に嫌々ながら飛行機に乗ってまで来た理由の一つでもあった。

「今日は大和人(やまとんちゅ)の友達連れてきたから、内地訛りで頼むさぁ」
そう言ってヨナが僕を友人たちに紹介する。
「はじみてぃやーさい(はじめまして)。俺、副島久史っていいます。よろしく」
「あい(おやっ)、うちなーぐち(沖縄方言)喋れるでないの」
「いえ、挨拶だけは考えてきただけです」
ヨナの仲間は男が三人と女の子が二人という構成だった。みんな褐色がかった肌で、彫りが深い顔立ちをしていた。
「俺らも内地訛りは辛いけど頑張るさぁ」
テーブルには何品か沖縄料理も並べられているが、串カツだとか揚げだし豆腐だとかチェーン店の居酒屋にもあるような料理もある。さすがに酒は泡盛のようだが、女の子たちはシィークワサーのジュースで割って飲んでいるようだった。話してみれば標準語も当然のように扱えるようで苦もなく話が通じた。いい意味で若者なのだ。
 酒があまり強くないので、僕もシィークワサー割りの泡盛を飲んだ。でも、これが失敗だった。口当たりが良く、何杯もするすると喉を通っていく。割っていても泡盛は泡盛、しかもアルコール度数の高い「古酒(クースー)」なのだ。いい気分になって、すっかり酔ってしまった。ヨナの中間達もほろ酔い以上にはなっていて、ウチナーグチで話すようになった。
「うんじゅ、やぁいなぐいるばー?(君は彼女はいるのかい?)」
当然何を言っているのか判らずヨナの顔を見る。
「彼女いるか、って」
「いません、いません。結構前に別れちゃって」
僕に質問してきた平良(たいら)君は、隣に座っている城間さんとつきあっているようだった。もう一人の女の子も彼氏はいるようで、男性陣もヨナを除けばみんな彼女がいるらしかった。
「しんけんか?(本当か?)ジュンと一緒やっさー(一緒だなあ)」
平良君はそう言って、ヨナの方を見ながら、グラスの泡盛を飲み干す。
「かしまさん(やかましい)、ふりむん(馬鹿野郎)。そういや、涼子は来んばー?(来ないのか?)」
「涼子?ああ、もうすぐ来るあんに(来るんじゃないか)」
涼子?もう思考がほとんど働いていない。おそらく仲間が一人増えるのだろう。ウチナーグチが飛びかう中、東京を思い出した。あの空間と、今ここにある沖縄の空間はあまりに違いすぎる。
店には僕ら以外に客はいなかった。店の主人は奥で新聞か何かを読んでいるようだった。
「わったー(私たち)明日仕事だから、この辺で」
どうやら平良君カップルとヨナを除けば、みんな社会人だったらしい。それぞれ千鳥足気味に店を出て行った。平良君とヨナは交互にコップへと泡盛を注ぎ、あっという間に飲み干していた。城間さんは仕方ないといった表情で二人を眺めながら僕の相手をしてくれた。
「この人たちは酔うとウチナーグチしか喋らなくなるから、ゴメンね。でも、もう少し我慢してればいいことあるよ」
何のことだろうと思い、聞き返そうとした時だった。
「チューゥガナビラ(こんばんは)」
少々覚束ないウチナーグチの挨拶をして、店に女の子が入ってきた。右肩になにやら荷物を抱えて、和風のワンピースを着ていた。どうやらこの女の子が涼子ちゃんらしい。
「練習が長引いてしまって。あ、ジュンけーたんなー(おかえりなさい)」
ヨナはさっきは待ち遠しそうにしていたのに、片手を軽く挙げただけだった。僕が自己紹介すると、涼子ちゃんはこれでもかというほどの笑顔で握手を求めてきた。なんだか照れくさかった。久しぶりに握手なんてしたような気がした。
「久史くん歓迎の意味を込めて、弾いちゃおうかな」
そう言うと涼子ちゃんは抱えていた荷物の布を取った。中からは三味線が出てきた。サンシンというやつだ。
「涼子はねえ、サンシンの名人さんだから」
「全然、名人じゃないよ。でも大好きで、いっぱい練習してるから聞いてね」
練習というのはサンシンの練習だったらしい。か細い足を組み、深呼吸を一つするとサンシンを弾き始めた。酒の匂いが混じった温い空気が一瞬で消えた。聞き覚えのあるメロディー。でも、こんな優しく、生命力溢れるサンシンの音は初めて聞いた。酔いなんてもう覚めてしまって、皮膚に風を感じていた。弦が爪弾かれる度に海風のような旋律が身体を包む。平良君もヨナも、気がつけば店の主人も表に出てきて良子ちゃんの奏でるサンシンの響きに身を委ねていた。
「『てぃんさぐぬ花』でした」
涼子ちゃんの声で演奏が終わったことに気が付いた。僕はただ、拍手していた。音楽を聞いて驚いたという経験は初めてだった。
 ヨナたちは我に帰ったように酒を飲み始める。つもる話もあるだろうに、涼子ちゃんとはほとんど会話をしない。涼子ちゃんはサンシンを爪弾きながら、料理を少しだけつついていた。結局取り留めのない話をしているうちにヨナと平良君はつぶれてしまった。城間さんは平良君の世話をやいていて、僕と涼子ちゃんが一対一で話をする形になってしまった。元来、女性と話すのは得意ではない。それに、澄み切った大きな瞳を前にすればなおさらだった。でも、話がしたいという気持ちの方が上回り、酒のせいにしながらたどたどしく会話した。彼女の顔立ちはみんなのように彫りが深くなかった。それに、ウチナーグチもどこか違和感があった。聞いてみれば高校生のときに東京から転校してきたということだった。そして、東京の話やサンシンの話をしたが、ふっと間が空いてしまいヨナの方を見る。少し曇った表情でテーブルに顔を押し付けながら寝ている。
「こいつ、俺に夜の沖縄の海は綺麗だから見せるなんて言ってたのに、これだもんな」
間を埋めようと、思い出したように呟いた。
「ジュンらしいね。そうだ、あたしが案内してあげる。すぐ近くだし、二人が起きるまで時間かかりそうだから」
思ってもみない展開になってしまった。涼子ちゃんはもう決定だと言わんばかりに立ち上がり、サンシンを肩に担いだ。
「久史くん、行ってきなよ。二人はわたしが見ておくから」
城間さんにもすすめられ、断る理由もなかった。店の暖簾をくぐり、涼子ちゃんの後に付いて海を目指した。

 夜風は涼しいとはいえないまでも、肌に心地よかった。潮の香りはほのかにするが、沖縄の海辺の風は本州のそれとは違った。とても、さらりとしていて、甘くさえ感じた。
「でも、ヨナも久しぶりに帰ってきて涼子ちゃんに会ったのに酔いつぶれちゃって、何やってるんだろうね」
会話がないと落ち着かなくて、何も考えずに言葉にしてしまった。
「うん・・・あんまり会いたくなかったんじゃないかなあ」
後悔しても遅かった。無防備な時、人を傷つけることが多々あることを知っているのに、剥き出しの言葉を放り投げてしまった。
「あたしね転校してきて間もなく、ジュンと付き合い始めたの。でも、高校二年のときに私から一方的に別れたのよ。
 あたし、たぶん25歳まで生きられないんだ」
「え?」
僕は頭の中が空洞になって、言葉が勝手に出た。
「ジュンに言ったの。あたしはこれから先、ジュンと時間をずっとは共有できないからって。辛くなるだけだからって。でも、そんなの付き合う前から判ってたのに。でも、ジュンを好きだっていう気持ちを誤魔化したくなくて」
涼子ちゃんは歩くのをやめなかった。ゆっくりとだけれど海へと向かって歩き続ける。
「沖縄に来たのは、少しでも長生きできるかもしれないって言われて引っ越してきたの。最初はそんなの馬鹿らしいって思ってた。でも、沖縄が大好きになってしまった。ウチナーグチも必死で覚えた。沖縄の友達、サンシンの音色、景色・・・
 全てが大好きなの」
涼子ちゃんが感じたものが少しはわかる気がした。沖縄の息吹のようなもの。今日来たばかりの俺でさえも、すでに体中に駈け巡っていた。涼子ちゃんの後ろ姿は凛としていた。自分を見つめ、サンシンを弾くことで沖縄の息吹を確かめている。その存在を、常に自分のそばに感じている。だから、何よりも凛としている。
「もうすぐ、海だよ」
一瞬、風が強く吹いて目をつぶる。涼子ちゃんが指さす方を見れば、海が広がっていた。月光とエメラルドグリーンが溶け合い、混じる。海面はひかりごけの様に浮かび上がって見え、それは砂浜に打ち寄せる波となる。涼子ちゃんが道路べりに座ったので、僕も真似をした。
「死ぬまでに、出来るだけ私が感じる沖縄を音楽に変換したい。このサンシンを奏でて、一体化したい。てぃだ(太陽)も、おーさるうみ(青い海)も」
ヨナと一緒に酒を飲んだ後、いつも悲しそうな表情になったことを思い出した。涼子ちゃんへの気持ちがいつまでも消えなかったのだ。その気持ちは痛いほどわかった。涼子ちゃんを消せるはずがない。僕はやるせない気持ちになって立ち上がると、足下でクシュッという音がした。乾燥した葉っぱのようなものがある。
「これ、なんだろう」
「うーじんがら」
涼子ちゃんは微笑みながら言った。
「さとうきびの殻よ。誰かが捨てていったのね」
おもむろにサンシンを取り出して弾き始める。
「昨日、新しい曲を作ったの。名前がまだ決まっていなかったから『うーじんがら』にしようと思うんだけどいいかな?」
僕はうーじんがらを見つめながら頷いた。
「じゃあ、『うーじんがら』を弾くから聴いてね。あたしが作った五十曲目の曲よ」
白すぎる指がゆっくりと動いて弦を弾く。そして、月明かりが降る中にサンシンの音色が溶けていく。スローとミディアムの中間のテンポで曲は進む。涼子ちゃんの沖縄への思いが溢れていた。心が揺さぶられて、涙が流れ出して止まらない。彼女に同情したわけでなく、純粋に感動していた。店に戻ったら、ヨナを叩き起こしてこの曲を聴かせよう。涼子ちゃんは恥ずかしがるかもしれないけれど、弾いてもらおう。なぜかわからないけど、サンシンの音がまだヨナのことが好きだということを告げているように思えた。
 僕は下を向いて、スニーカーを踏み鳴らしてリズムを取る。音楽を身体に吸収しようとする。それに、泣き顔を見られたくなかった。僕は楽器を演奏することも出来なければ、ハミングも出来ない。だから、踵でうーじんがらを踏む。うーじんがらの崩れる音でセッションする。

 今夜だけ、彼女と音楽を共有する。

Exit