ハイイロリバー

 特急「かいじ」のスピードは窓で切り取られてゆく景色をさらに断絶する。僅か一時間で、僕は東京に着くことになる。「あずさ」に乗ってもよかったのだが、響きが好きなので「かいじ」にした。冬枯れの山や水の張られていない田んぼが見えた。今、カーテンを閉めて40分後に開ければ、木の代わりにビルが生えていることになる。普段特急に乗ると必ずカーテンは閉めるが、今日は外の景色を見たい気分だった。木々がビル群になるまではカーテンを開けておこう。あと二ヶ月もすれば見ることもなくなる背の高い木や、田園風景。スライドショーのように窓には次々と山間の風景が映し出されて行く。
車内販売のカートが狭い通路を転がる音がして、売り子が機械的な声で喋っている。朝食を抜いていた僕は売り子を呼び止め、カートを覗いた。缶ビールに柿の種、缶ジュースが数種類、弁当。特に食べたいものは何もない。コーヒーを飲もうとも思ったが、薄くて香りもないのは明白だった。仕方がないので、りんごジュースを手にとる。「150円です」と言われ、手に既に取り出していた120円に慌てて30円を足した。見慣れた食品が、カートに積まれて電車の中に運ばれた時点で値段は高くなる。すっかり忘れていた。ドリンクホルダーに缶ジュースを置き、バッグから文庫本を取り出した。古本屋で見つけた文庫本はカバーが擦れ、紙は黄色くなっている。古本用の消毒の匂いと、かび臭いような本自体の匂いがする。本を読むというよりは、字を追いながらその匂いを嗅いだ。僕はこの匂いが好きだ。窓のスライドショーはまだ続いている。時折、トンネルという暗幕に覆われるが、そこには残り雪とともに冬の田舎の風景が連続的に切り抜かれていた。小説には何も新しい発見がなかった。そこにある字の羅列は眠気を誘うばかりだった。昨日も寝むれず、長い散歩の末に寝むりについたのは朝の7時だった。2時間も寝ていない。りんごジュースを開けて一口飲むと、ねっとりとした甘さと奥歯の痛みが口の中に生じた。僕は文庫本に栞も挟まずに閉じる。そして、家ばかりが映し出されるようになってきた窓のカーテンを閉めた。後30分で僕は新宿駅にいる。そう思うと気が滅入りそうになったが、眠気にまかせて目を閉じてやり過ごすことにした。こんな時だけ電車の揺れは心地よい。
駅のホームは疲れきった人たちの靴の音でいっぱいだった。エスカレーターを早歩きで上り、指先が他人にぶつかっているのに気が付かない、疲れきった人たちの靴音。僕は中央線のホームからゆっくり、エスカレーターを使わずに山手線のホームへ向かった。品川まで山手線、蒲田まで京浜東北線。毛細血管のような各線を乗り継いで目的地へと向かう。休日だというのに山手線も京浜東北線も、僕は吊り革に掴る羽目になった。電車は大井町を過ぎ、大森を過ぎ、蒲田に着く。大森といえば『痴人の愛』の舞台だ。譲治とナオミのお伽噺の家があった場所だ。僕も蒲田でお伽噺の家を探さなくてはいけない。四月から始まる生活は、お伽噺のようにリアリティのないものだ。少なくとも、僕は何の実感もない。夏場に今日と同じように特急に乗り、各線を乗り継いで歩き回った就職活動を経て決めた就職先。ただ無感情に、ある程度の興味だけで仕事を決めた。早々に東京への往復を止めたかったのだ。でも往復の代わりに用意されたのは東京への常駐だ。そんな仮の宿が、お伽噺の家以外の何だというのだろう。蒲田駅に到着した電車は『蒲田行進曲』メロディを鳴らして走っていった。
改札口付近で伯父と待ち合わせることになっていた。家探しのことが話題に上ったとき、東京に住む伯父に付き添ってもらったほうが安心ではないか、と電話口で母はそう言った。僕に異存はなく、契約などのこともあるのだから心強いことに間違いなかった。待ち合わせまでまだ15分ほどあったので、柱の側に立ち改札口を眺める。様々な人が交差し、消えていった。大声で奇声を発している男。やたらとお互いの身体を触りあっている男女。関西弁で笑いながら携帯電話で喋っている女。自分も流れの中にいれば気にならない人々が、こうやって人を待ちながら眺めていると全てが滑稽に映る。何よりも滑稽なのはそう思う自分なのもよく知っている。何かを無駄に考えることは、東京に引っ越してからは止めなければいけないだろう。 
時計は待ち合わせの時間を過ぎた時刻を示していた。伯父は携帯電話を持っていないということだったので、こっちからは何とも連絡のしようがない。携帯の液晶を眺めながらどうしようかと思っていると、携帯が震え出した。画面には「公衆電話」と表示された。外で待っていたらしく、外の公衆電話からかけてきたのだった。そっちへ向かう、と言うと伯父は電話を切った。伯父にはしばらくぶりで会う。父方の祖母の葬式以来だ。元々、父方の親戚とは関係が薄い。だから、伯父の顔もはっきりと思い描けない。ただ、伯父は首筋に赤茶色の大きな痣があった。冬場のこの時期に首元なんてなんの目印にもならないなと思う。
「修くん?」
白髪混じりの女性が言う。「違う、違う」という登山用の帽子をかぶった男性。
「いえ、僕、修です。お久しぶりです」
「やっぱり、いいのよねえ。良かったわ」
僕を見つけたのは叔母だった。夫婦二人で僕の部屋探しに付き添ってくれるようだ。二人とも似たようなナイロンで薄手のダウンジャケットを着て、伯母はジーンズ、伯父はウールのスラックスを穿いていた。懐かしいといった種類の感情はなく、ただ漠然と伯父と伯母だった。
二人のほうが心強いと思って、と伯母は笑いながら言った。僕と伯父夫婦は駅を出て不動産屋を目指して歩いていた。寡黙な叔父は伯母が喋る度に相槌を打ちながら静かに微笑んでいる。もう会社を退職した伯父は毎日を悠々自適で過していると伯母は言った。
「なんや、修君も大きくなったなあ。ねえ、しんさん?」
伯父はやはり微笑みながら相槌を打つだけだ。滋賀生まれの伯母は東京に住んで40年経っても訛りが抜けないらしい。飲み屋が連なる通りの中程にあるという不動産屋の説明を頼りに、煩雑な飲み屋街を歩く。二人は思った以上に健脚で、僕は歩調を緩める必要がなかった。東京に住んでいても訪れない場所は訪れないようで、伯母は初めて来た蒲田の街並みを楽しんでいる。伯父はそれを優しい表情で眺めている。退職したからなのだろうか、身内だからか、僕が改札口で眺めていた人達と伯父夫婦は明らかに違った。しかし、「東京」に相応しいのは改札口を行き来していた人の群れなのかもしれない。
 貧相な看板によく気がついたものだと思いながら、不動産屋のガラス戸を開けた。老舗の、安い物件を紹介するところだと蒲田の友人から聞いていたが、昔からある証拠に店舗は薄汚れていた。先客がおり、勧められるままに椅子に腰掛けた。伯父は座らず、壁一面に何十枚と貼ってあるアパートの情報を見ていた。僕は自分のことなのに、机の上にあるアパート情報誌も見ずにただ一生懸命に接客している小さな眼鏡の女性店員を見ていた。
「うーん、この物件はかなりオススメなんですよー。この立地と間取りでこのお値段はそうそうないですー。敷金も一ヵ月分ですし、この時期に押さえておかないとなくなりますよー」
 高校生らしき女の子とその父親なのだろう、真剣な顔で間取り図を見ている。この薄汚れた店舗の中で毎日同じ光景が繰り返されているのだろう。この辺りもこれくらいするのか、などと言い合いながらアパートの条件を見ている。僕もなんとなく悪い気がしてきて情報誌をパラパラとめくる。職場への交通の便と家賃相場のバランス、友人がいるといった条件で家探しの土地はこの蒲田に決めた。何度か友人を訪ねて来たこともあり土地感がまったくない場所よりいいだろうと思ったのだった。僕は昔から東京が嫌いだ。何も田舎者の僻みで言っているのではない。空気が、科学的なことではなくて、澱んでいるからだ。人もそのほとんどが澱んでいるからだ。澱みが澱みを複雑化している。だから僕は東京で移動する時は、大ぶりの動きとノーブレスでバタフライをしなければ到底泳ぎきれないのだった。そして呼吸が苦しくなって、自分のアパートに帰ってやっと息継ぎが出来る。四月からはそれが当たり前になる。毎日がバタフライだ。情報誌には楽しいことは何も書いていなかった。「ペット可!」、「バルコニー付き!」、「礼金ゼロ!」。わざわざエクスクラメーションマークで強調するようなことでもない。僕は予想される自分の初任給に見合う家賃のアパートだったらそれでいいのだった。贅沢を言えばきりがない。所詮は仮の宿でお伽噺の家、息継ぎの場所。それを満たすのならどこでも良かった。
 僕は大学院で文学の研究を続けたかった。しかし、僕が大学二年のときに父が職を失った。一人っ子の僕を大学に行かせるのだってもともと限界を何メートルも超えている家だった。だから、なおさら大学院進学なって夢だったのだが、その尻尾すら見えなくなった。祖父の見よう見まねで漢詩や和歌、近代文学を小学生くらいから読んでいた。変わっているなんて評価は当たり前だった。自分は同世代の人間とは明らかな「ずれ」があることも承知していた。でも、それはやはり子供心には寂しすぎた。運動が出来ず、太っていたので女の子には相手にもされなかった。成績だけは良かったので、同級生との差異を誤魔化すように居丈高に振舞っていた気がする。それは同級生の苛め心を誘発し、雪合戦の雪玉は全て僕めがけて投げられ、椅子の上に画鋲を置かれ、柔らかな私刑も受けた。だから、自分の本当にいるべき場所はこういう場所だと、小説ばかり読んだ。漫画も沢山読んだけれど、小説のほうがはるかに空想をさしはさむ余裕があった。いくらでもイメージを勝手に構築できた。そこで養われた子供の残酷な空想力は、あまりにもリアルに同級生たちへ僕からの罰を下すことを可能にさせた。僕の空想の中で同級生たちは八つ裂きや血みどろにはならなかった。ただ、奈落へと突き落とされるのだ。僕は同級生達を崖に一人ずつ並べ、無表情のまま突き落とすのだった。不思議とその同級生たちは笑っていた。なにからか解放されたかのように。それでも中学生くらいから人付き合いも覚え、もちろん表面的なものだけれど、苛められるようなことはなくなった。それでも自分がいるべき場所はここではないと思い続けていた。しかし、今の僕はどうだ。大学を卒業し、社会の枠に入り込んでいく。僕は何も子供の空虚な妄想を引き摺っているのではない。自分が住むべき「場所」。それは求め続けなければいけなかったはずだ。他人と違うから仕方なく行く場所でも、いじめから逃れる避難場所でもない。自分が本当に居たいと思う「場所」が人には必要だ。僕は住むアパートを探しに来ているけれど、これほど空虚な空間もない。
 「お待たせしましたー!お待ちのお客様、こちらへどうぞー」
眼鏡の女性店員に声をかけられて気が付くと、先客の親子はいなくなっていた。この近辺の物件の情報が書かれた紙の束をテーブルの上へと置くと、仕切りなおしといわんばかりに店員が頭を下げた。
「改めまして、いらっしゃいませー。今回はどんな感じの物件をお探しですかー?」
これ見よがしの笑顔で店員は喋り始める。僕は呟くように条件を言う。
「じゃー、ココしかないですよー。ここは駅まで10分くらいで、大家さんが管理もしっかりしているのでー、6畳でユニットバスにエアコンでこの値段はなかなかないですよー」
やたらと語尾を延ばす癖が煩わしく、無表情のまま僕は頷いた。どこでもいい。
「あら、ここいいやないの修くん。大家さんがしっかりしてるのっていいわよ」
伯母が不意に口を開いた。そうだね、と伯父も相槌を打つ。
「はい、じゃあうちは案内所を持ってお客様にご自由に現地見学していただくシステムになっていますのでー。今、紹介状と地図のほうコピーしますのでお待ちくださーい」
コピー機の機械音がなり始めると同時に軽い頭痛が始まる。アルコールランプの炎のような弱々しい頭痛。いつもこうだ。僕は今、いらついているらしい。コピーされた紙を伯父が受け取り、不動産屋の外に出た。飲み屋街の雑踏、その喧騒に寒風が混じって消えた。

 先に大家の家へ向かってくれ、という不動産屋の店員の指示通り、地図をタクシーの運転手に見せてそこへ向かった。思えば東京を車で移動するのは初めてに近い行為だ。環状八号線や高速道路は利用したことがあるが、東京の街中をタクシーに乗って移動している。電車からの景色とも歩いているときの景色とも違う、今までにないような親近感が多少感じられる「東京」がそこにはあった。
 大家の家は大きな赤レンガの門がある、いかにも金持ちという家だった。敷地の中に小さな事務所があり、そこが受付のようになっていた。副業としてアパートの賃貸もしているのだろう、本業らしき建設会社のパンフレットが無造作にテーブルの上にあった。30代前半ほどの男が、色の濃いリーバイスのジーンズ、緑と赤のチェック柄のフランネルシャツというカジュアルな格好で椅子に座っていた。お待ちしていました、と言い終わると同時に席を立つ。
「では、物件のほう車でご案内いたしますね」
そう男は言いながら車のキーと事務所のキーを掴む。僕と伯父夫婦も促がされるように事務所から出る。大家の家の庭には不釣合いの、日産のサニーがあった。おそらく、この賃貸業専用車なのだろう。男はアパートの近くにある商店街や大型電気店など生活必需品を買える場所も案内してくれるという。男は緩やかなスピードで車を運転しながら、手馴れた様子で僕に質問し、街の案内をした。就職先を聞かれ答えると男は以外にも僕の内定先を知っていた。だが、別段感慨深いほどのことでもないらしく話題はどんどん変わっていった。変わらないのは意味がないということだけだ。
 小さな橋を渡り、車は古臭い商店街を走っている。鼈甲飴色のフィルター越しに見ているような印象の商店街だ。時代が昭和の途中で止まったような、そんな風景だった。しかし、それは新宿駅に着く直前に電車の窓のカーテンを開けたときに目に入ったビルの群れとは違って、僕の心を落ち着かせた。伯父夫婦も後部座席で街並みを眺めている。伯母は相変わらず元気よく喋っていた。
「この並木道は、春には桜も咲くから花見が手軽に出来ていいですよ」
車が商店街を抜けて住宅街に入ると、男はそう言って笑った。案山子のような枯れ木が同じ幅で中央分離帯のように道路の真ん中に植えられている。少し珍しい植え方だ。道路の真ん中に一定の幅で花壇のように土があり、そこに桜の木がある。
「この場所には元々川があったそうです。先ほど通ってきた橋のかかっていた川とここと、二つあったそうです。しかし、この今は木が植えられている場所に流れていた川はあまりにも氾濫し、その度に被害があったので埋められたそうです。戦後直ぐくらいのことらしいですよ」
氾濫する川の濁流が目に浮かんだ。濡れたコンクリートのような色の空から降る大雨。土も折れた木も全てを一緒くたにした灰色の水。荒々しく土手を削り、川幅を広げ人家にまで及んだであろう濁流だ。それは、確かに大きな被害を出した迷惑千万な流れだったのだろう。しかし、僕はその荒々しさを羨ましく思った。埋められた、嘗て川だった場所。それは今の僕だ。ポケットに入れていたガムを口に放り込んで、ゆっくりと動く車の窓からずっと道路の真ん中にある川を見続ける。ミントガムの味はしなかった。頭痛も始まっていた。でも、僕は川を見続けた。それは埋め立てられた川への供養のような気がした。
 アパートの部屋はきれいで、値段と立地条件とのバランスからして良い物権だった。これ以上の物件を探すのも難しいような気がしたので、伯母と伯父の奨めもあって直ぐに決めた。案内をしてくれた男はここに決めるという旨の言葉を伝えると満足そうに微笑み、ゆっくり頭を下げた。駅まで車で送るという男の提案を伯父は断わった。伯母は車に弱いのだそうだ。タクシーとサニーで伯母の体調は一変したのだ。そういえば、アパートについてから後の伯母は妙に静かだった。駅まで2キロあるかないかということなので、昼飯を食べる店を探しながら行こうということになった。先ほど車で通った商店街を歩く。街灯に桃色や黄緑色の造花が枝垂れている。八百屋に魚屋、精肉店。雑貨屋や駄菓子屋もあった。雑貨屋の店先には、亀の子だわし、蝿取りテープなど前時代的なものが薄っすらと埃を被った状態で並ぶ。駄菓子屋には僕が見たことのないような菓子が沢山置いてあった。伯母は乗り物酔い用にいつも携帯しているという梅干を口の中で転がしながら、楽しげに駄菓子屋を覗き込む。伯父も足を止め、一緒になって覗き込んだ。
「あら、しんさん懐かしいわぁ。ふ菓子よ。梅ジャムもあるわ」
「ああ、本当に懐かしいなあ。こっちのほうの古い商店街の方がこういったものはあるもんだねえ」
昔を懐かしむ伯父夫婦の顔は十歳くらい若返って見えた。懐かしい駄菓子を発見する度に、雨降りの中に咲く紫陽花のように活き活きと色が変わる。先ほどよりはだいぶ口数の増えた伯父と、乗り物酔いも忘れてはしゃぐ伯母は夢中になって駄菓子を手に取っていた。僕は店の入り口で玉子ボーロだとか酢イカだとかを見ながら佇んでいた。自転車のベルがなる。寒い空気はよく音を響かせる。
「静かだ」
僕はただそう呟いた。渋谷、新宿、池袋といった町の喧騒。駅の喧騒。それはあっという間に収束して消えた。生活の音はただ静かだった。
「いやあ、こんなに買っちゃったわよ。さくら大根でしょ、酢昆布でしょう・・・思いがけず楽しかったわぁ」
僕は微笑んで頷くことしか出来なかった。この人たちは人生をほとんど構築し終えて、後悔はあるだろうけど先行きの不安は少ないのだろう。屈託のない笑顔は何も知らない子供の笑顔に似ているように思えた。
 僕たちは駅に程近い餃子の店に入ることにした。蒲田はなぜか餃子の店が多い。宇都宮に追いつけ追い越せなのだそうだ。店内の雰囲気はとても大衆的で、飾り気はない。安くて旨い餃子の定食が次々と客のテーブルへと運ばれていた。伯父は糖尿病のせいで食べるものを厳選しなければいけない。餃子の店に来て餃子が食べられないのだ。伯父は塩ラーメンをゆっくりと啜り、伯母はすっかり乗り物酔いは平気になったらしく餃子を美味しそうに頬張った。餃子はきれいな飴色に焼き色が付き、芳ばしい香りを発していた。でも僕は無感動に、米と餃子を交互に口の中へと押し込んだ。仕事が始まれば安月給のやりくりのために、こんな大衆的な店での外食も躊躇わなければいけないということが頭を過ぎったからだった。昼食を済ませた後、京浜急行線の蒲田駅、京急蒲田駅へと向かった。伯父夫婦の家は京成線沿いにある。京浜急行に乗れば接続も楽だと言うのだ。JRの蒲田駅と京急線の京急蒲田駅とは一キロほど離れて存在している。もちろん利用頻度などから見てもJRの蒲田駅の方が本流で、京急蒲田駅は亜流だ。なんでも二つの駅の間にも鉄道を走らせる計画があるらしい。その路線の名前は「蒲蒲線」と言うのだそうだ。緊迫感のない名前だと思いながらも、その路線の現すものは大きいと思った。ようするに本流と亜流が合流するのである。僕はさっき車の中から眺めた、埋め立てられた川、慣れの果てのことを思い出していた。二つの流れがあったとき、合流することもあれば片一方が埋め立てられることもある。僕の中の流れはどうなるのだろう。

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